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CALIFORNIA

≪サンフランシスコ≫

短大の夏休みの2ヶ月余り、サンフランシスコ(以下SF)の語学研修に参加。
初めてのアメリカ本土、初めての1人旅。私のつたない英語はどこまで通用するのか?
よく、不安と期待が入り混じる…なんて言うけど、
私は不安で期待が押しつぶされてた、正直。
だけど、これからの自分の将来の為、これにかかる費用を一生懸命貯めて、
そして全額つっこんだ自分の為、頑張らない訳にはいかなかった。

その語学学校があるのは、SF郊外、オークランドにある女子大だったんだけど、
オークランドというのは、全米でも有名な治安の悪い地域らしい。(^^; 
これは帰ってから知ったんだけど。
いや、治安が悪いというのは、着いてすぐに他の日本人から聞いたのでわかった。
ただそんなに有名だったとは分からなかっただけで。
学校の周りは黒人ばかりが住んでいて、確かに道路やフェンスも
やばめに崩れかけている。校内を最初に案内されてまわっていた時、先生が言った。
「ここの坂は気をつけた方がいいよ。2週間前にも韓国人の女の子がさらわれたし。」
さらわれたって…さらわれたって…そんな現実離れした言葉がサラっと出てくるのがアメリカなの? 学校内でそんなの、あり? うそぉ… 
日本に遺書でも書いてくるべきだったかしら?
そういう危機感はちっとも現実離れじゃないと思えるようになるのは、もっと先のことである。


8月も終わりくらいになると、アメリカ人の学生が戻ってきて、新学期が始まった。
我々語学学校の生徒と正規の学生であるアメリカ人とは、まぁ全くと言ってよいほど何の交流もなかったが、ただカフェテリアだけは同じ場所を使っていたのだ。
ある日、いつものように留学生ばかり固まって食事をしていると、高校生くらいの白人の男の子がカフェテリアに入ってきた。
「え?! 女子大なのに…なんで男の子がいるの???」
スラっとして、なかなかかっこいいんだけど、女子大のカフェテリアで何食わぬ顔でいる。
しばらく?マークが点灯していたが、そういえばこの大学は教授達も敷地内に住んでいる、
ということを思い出し、「あぁ、なるほど。 教授の家族なんだな。」と落ち着いた。
が! 次の日。 男の子が4人ほどに増えている…おーいっ!
しかもよく見ると、その中の一人がどう見ても男の格好をした女。
と、言うことは? あれ全部女? もしかして…
そうなんです! 女だったんです! しかも全体の5%くらいはそんな人でした。
「あぁ」とすぐ分かる人もいるけど、中には本当にどっから見ても男にしか見えない人も。
声も低いし。 ただ見た目はみんな若い子に見える。 みんな高校生みたい。

SFといえば、て感じなくらい、SFはゲイで有名な所だよね。
だからだと思うけど、その女子大、レズビアンの方々でいっぱい。
どうやら全米から集まってくるらしいのです。 レズビアンの自由を求めて。
全米どころではない、もしかしたら世界中だったかもしれない。
日本人?て感じの人もいたよ。 やっぱり背がでかくて頭坊主だったけど。
男の格好をした人と、普通に女の格好をした人と、
ちょっと見たらただのカップルにしか見えない。
その辺でキスとかしてるんだけど、「両方女なのかー」と思うと不思議だった。
女同士が不思議なんじゃなくて、それが不思議に見えないのが不思議だった。

ここも例にもれず、留学生では日本人が一番多かったんだけど、全体では
アジア圏よりヨーロッパ圏の学生の方が多かった。
そして、ヨーロッパ圏の人達は、大半が20代中頃の院生や社会人。 
日本人はほとんど現役大学生で、19歳〜22歳くらい。 見た目はもっと若いよね。
だからかもしれないけど、なんかバカにされてる感があって、
私は何度となく「イラっ」、「カチン」、「ブチッ」となった。 
もともとそういうのに敏感なのかもしれない。
そういうのってのはつまり、見下されてる、バカにされてる、という感覚。
でも英語ちゃんとしゃべれないし、言い返せないのがすっごく悔しくて、
早くしゃべれるようになりたくなった。
言ってることはわかるのに、言いたいことが言えないってホントにむかつくんだよ。
でもそれが勉強への活力になったんだから、今思えば良かったのかな。 
…ん?良かったのか?

差別
どういうのが差別というのか、私には正直よくわからない。 明らかにひどい暴行を受けるとか、機会均等でない制度的なものは分かるけど。今までに3回くらい「あれ?」と思うことがあった。それは、ヨーロッパ留学生による見下され感とはまた別のもので。
例えば学校から別の大学への巡回バスに乗った時のこと。
10人以上の列の最後尾に私も並んでバスを待っていた。 外国人は私だけ。バスが来て、学生は次々に乗りこみ、運転手(黒人・女)はそれぞれに愛想よく声をかけていた。
最後に私が乗ろうとすると、ステップを上がるか上がらないかのうちにドアがバタンと閉まり、
私はびっくりして挟まれないよう避けるのが精一杯で、立ち止まってしまった。
するとその運転手は私を睨みつけて「早く乗んなさいよ」と語気も荒く、さも迷惑そうに言った。降りる時も、他の学生には「バ〜イ」とみんなに声をかけているのに、私はシカト。
「あれ?これって差別?」ちょっとへこんだ。
その他もまぁ同じような感じで、「あれ?これが差別ってものなの?」というような、
一瞬の事。 もう二度と会わない人達だから、ちょいヘコミ程度のもんだけどさ。
個人的には、これってセクハラやいじめと同じようなもんかなぁ、と思った。受け側がどう感じるかで大分違うなぁ、というか。セクハラにしたって、どうって事ない人もいれば、同じ事されてもセクハラセクハラ騒ぐ人がいたり。いじめにしたって、むかついてやったんじゃなく、ホントに悪気がなくて冗談のつもりだったり。
その運転手に差別してる意識があったかどうか判らないし、だから私も差別と取っていいのかもよくわからなかった。 「された…のか?」くらいかな。(笑)

 

みんな短期の語学研修だから、車なんか持ってる人はいない。
SFダウンタウンに出かけるのも当然昼間のみ。(夜のバスは危険)
寮でなんとなく時間を過ごすことが多いんだけど、特に夜はしゃべる以外する事がない。
と、いつからかハマリだしたのが卓球。
なぜ卓球? そこに卓球台があるからさ。 本当に他にする事なかったんだってば。
最初のうちは変わりばんこにカッツンカッツンやってたんだけど、そのうち強い人に周りが挑戦するようになって、勝ち抜き戦みたいな、ゲーセンで対戦するような…わかりますか?
勝ってる人は100円でずーっと楽しめてるような、挑戦者が次々に変わる、あれですね。
そこで、私はどうやら卓球がうまかった事を知ります。
結構勝ち抜いちゃったりして、女の子では相手にならなくなってきて。
もともと負けず嫌いではあるし、前述・ヨーロッパ人に勝つのが爽快だったというのもあり。
いっぱいプレイできればその分腕が上がります。
最終的に私と日本人の男の子、2人のトップ争いになって日々ギャラリーを沸かせていたんですが、ある日ふと「アメリカまで来て何をしているんだろう?」と我に帰り、おしゃべり重視の生活を心がけました。

SFダウンタウンは、学校からバスで30分位でした。週末、5,6回行ったと思います。
チョコで有名なギラデリ・スクエア、ピア39、アルカトラツ島など、それなりのスポットはおさえたね。ピアからゴールデン・ゲート・ブリッジをくぐり、アルカトラツをぐるっと回るフェリーのツアーで、自分の船酔いまでのタイム・リミットが20分であることが判明しました。(^^;

ピア39のプレッツェルスタンド

 

フェリーから望むアルカトラツ島

 


刑務所内部

なんと言っても一番よかったのが「カストロ・ストリート」。
ここは何を隠そうゲイ・ストリートとして有名です。 
日本でいう、新宿2丁目のような感覚なのかな?
実は、先生の1人が、ここにあるアイスクリーム屋がすごくうまい、と勧めてくれたそうで、勧められた友人(女)が1人ではちょっと…と言うので一緒についていった。この先生もゲイだったのかもしれない。
行ってみて、「失敗した!」と思った。こんな、観光丸だしの日本人の女の子3人組みが来てはいけない所だと思った。自分達がすんごく浮いていることを痛感した。でも来ちゃったもんはしょうがないし、もうきっと一生来れないだろうから、
悔いのないように歩きましたとも。
一見、全然普通の街なんだけど、ふと気付くと目に入る95%以上が男。
本当に女がいない。 それに気付いた時、自分らが浮いていることを知る。
私は最初かなりびびっていた。それこそ、差別されるかなーとか思って。「お前らみたいなもんが来る所じゃねーぞ」って言われても全然文句言えない状況だと思ってさ。
でも、みんなすごく優しかった。 観光地の土産物屋なんかより、全然優しかった。
雑貨屋で、高い所にあるキャンドルを見ていると、すかさず取ってくれたり、
「これ、いい匂いだよ」と、まぁ女の子同士のような会話だったけども、全然押し売り調じゃなくて話しかけてきた。
ドラッグストアで、手に取ったシャンプーを落とし、キャップが壊れて転がっていってしまった時も(何やってんだか;)、バイトらしきお兄ちゃんは「大丈夫、大丈夫」とレジに見えないよう元に戻してウィンクした。
あぁ、なんていい人達なんだろうと、調度前述のバスの件があったりした直後だったので、
余計に感激した。 物価も安かったと記憶している。 
私の中では、あそこはとても良い所になっている。

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